松島 円通院 三世紀半閉じた扉

瑞巌寺の隣にある円通院 せっかくここまで来たので寄っていこうと参詣しました。 
山門から見える枯山水が目を引いたのですが、瑞巌寺の豪放な荘厳さと違い、
ここは楚々とした雰囲気に包まれています。
それもそのはず、伊達政宗の嫡孫伊達光宗の霊廟として、三慧殿(さんけいでん)が建立され開山したそうです。 奥の石段を登ると三慧殿があります。
円通院のHPで、”建物は宝形造、本瓦葺で、四周に高欄付の縁を巡らす。東北地方では数少ない 格式ある方三間霊屋の遺構であり、霊屋建築としては宮城県下最古とされ、3世紀半もの間秘蔵とされた国の重要文化財です。”と紹介されています。
伊達光宗の厨子(ずし)

伊達光宗を祀った円通院建立の経緯は、とても興味深いのでご紹介します。

伊達光宗は、二代藩主忠宗と秀忠養女振姫との子。 三代将軍家光の甥にもあたり、幼少の頃から文武に優れ性格は剛毅、伊達政宗の再来と仙台藩三代藩主として大いに期待されていたが、19歳で夭折。 当初から幕府による毒殺説がささやかれた。 

悲憤にくれた忠宗と振姫は、三慧殿を建立し光宗を祀っています。
厨子を拡大した写真
三慧殿の厨子の中には、白馬に跨る衣冠束帯の光宗の像が祀られています。(上の写真)

当時は、鎖国制度が始まった頃で、仙台でも仕方なしに切支丹弾圧が始まっていたのですが、なんと、厨子の扉には、支倉常長が西欧より持ち帰った西洋バラの模様と切支丹に通じる白百合が描かれ、厨子の梁には、トランプのハード、スペード、ダイヤ、クローバ模様が描かれています。(薔薇と白百合ははっきりわかりますが、トランプ模様は、そう言われればそうかな、という程度ですが、、 光宗の横に祀られているのは光宗に殉死した7名の武士の像)

伊達家は、徳川幕府に対しては、伊達家の霊廟だと申し立てて扉を開かず、三世紀半(350年間)もの間、公開されることなく守られてきたそうです。

伊達政宗の反骨精神なのか我が道をゆく心意気が根底にあったのか、あるいは忠宗と脈姫の江戸幕府への怒りが込められていたのでしょうか、想像が掻き立てられます。

大悲亭
また、境内に光宗の江戸納涼の亭を解体移築し、大悲亭と名付けています。

円通院に立ち寄ってよかったです。 円通院の予備知識もなく、時間がないのでささっと回っただけですが、あとでいろいろ調べれば調べるほど興味深く、なんだか歴史の一場面に立ち会ったような気分です。 面白いですね。。 


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