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東北ツアー帰路 お土産


東北ツアーの帰りは郡山から新幹線です。 郡山でお弁当を買いました。


 

この生キャラメル美味しかったなあ。
下の写真は、今回のツアーで買ったお土産。。こうやって見ると結構沢山お土産買っています。 はは、お味噌が多い、、ごはんのお供がいっぱいです。

塗るグルコサミンは本当に関節がスムーズに動くようになります。

松島の手ぬぐいは、いい柄ですよね? 是非、満月の松島に行ってみたいなあ


























お守りも沢山。 息子や孫のお守りです。 おやじはボケ防止のお守り。はは。

楽しい東北旅行でした。 次回はじっくりと旅行したいかな。

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中尊寺 そして そば処義家

ツアー最後の観光は、中尊寺。 行く年くる年でよく見るのですが、実物をみたのはこれが初めてです。  正直、実物の金色堂には心底感動しました。 百聞は一見にしかず、というか、実物は、映像には映らないド迫力があり、あたり一帯が別世界でした。

金色堂は、手のこんだ装飾が漂わせる気品なのか、見るものを圧倒するオーラが出ていて、 思わず息を呑み、拝みたくなるお堂でした。 「素晴らしい」という言葉では失礼だと思うほどです。 

そしてもっと驚いたのは、奥州藤原家滅亡後50年後とはいえ、鎌倉幕府が金色堂を覆うお堂(鞘堂)を建て、金色堂を風雪から守ったことです。 

奥州藤原家を滅ぼした鎌倉幕府ですが、価値ある金色堂は保護した。 偉い!鎌倉幕府。 金色堂は今も昔も変わらぬ感動を見る人に与えていたのでしょう。 なんだか嬉しい。


上の写真は本堂の上の広場みたいなところ。 この左手に金色堂があります。
中尊寺というのはこの山全体の総称だそうです。
本寺である「中尊寺」と山内17ヶ院の支院(大寺の中にある小院)で構成される一山寺院です。本堂は一山の中心となる建物で、明治42年(1909)に再建されました。
中尊寺の歴史をおやじなりに要約してみました。 出典は中尊寺のHPです。ここ→ です。

中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれた。

その後、12世紀のはじめに奥州藤原氏初代清衡公が、11世紀後半に東北地方で続いた戦乱(前九年・後三年合戦)で亡くなった生きとし生けるものの霊を敵味方の別なく慰め、「みちのく」といわれ辺境とされた東北地方に、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を建設しようと、中尊寺の造立に着手し、釈迦・多宝如来の並座する多宝寺を建立し、続いて百余体の釈迦如来を安置した釈迦堂を建立。その後多くの伽藍が造立され、その規模は寺塔40余宇、禅坊300余宇に及びました。

二代基衡公は、父の志を継いで薬師如来を本尊とする毛越寺の造立をすすめ、三代秀衡公は阿弥陀如来を本尊とする無量光院を建立。三世仏(過去釈迦、現世薬師、未来世阿弥陀)を本尊とする三寺院の建立は、すべての生あるものを過去世から現世さらに未来世にいたるまで仏国土に導きたいという清衡公の切実な願いの具現でもあった。

平泉はおよそ100年近くにわたって繁栄し、みちのくは戦争のない「平泉の世紀」となった。しかし、平氏政権を倒した源義経が、兄頼朝と対立し平泉に落ちのびて間もなく、義経を保護した秀衡公が病死すると、四代泰衡公は頼朝の圧力に耐えかね義経を自害に追い込みます。その泰衡公も頼朝に攻められ、文治5年(1189)奥州藤原氏は滅亡。

鎌倉時代以降、大きな庇護者をうしなった中尊寺は次第に衰退し、建武4年(1337)の火災で多くの堂塔、宝物を焼失。しかし国宝建造物第1号の金色堂をはじめ、建築、絵画、書跡、工芸、彫刻、考古、民俗の各分野にわたる文化遺産が現在まで良好に伝えられ、東日本随一の平安仏教美術の宝庫と称されています。

平成23年(2011)に中尊寺を含む「平泉の文化遺産」が世界文化遺産に登載された。

諸行無常の響きあり。。。そんな中で金色堂は守り抜かれてきた、、のですね。
東物見台からの眺め

このツアーで中尊寺観光に当てられた時間は昼食も含めて1時間40分しかありません。
オプションの昼食は白金豚鍋膳。 おやじはどうしてもワンコそばが食べたいので自由行動をチョイス。 集合時間30分前 参道の月見坂の途中で そば処義家を発見。
早速入ってワンコそば一重をオーダー 二重だとおわんが24椀だそうです。
美味しそうでしょ!!  ワンコ蕎麦は、少し細くて、少し柔らかめの田舎蕎麦みたいな所感です。 蕎麦つゆはみりんが少し強めでやや甘め。 食べやすいお蕎麦です。
とろろは、 ここまで甘めのとろろは初めてです。蕎麦つゆで伸ばしたのでしょうか?  それとも山芋自体が甘いのでしょうかね? 他のお客さんはとろろ蕎麦をオーダーしていたのでここの自慢料理なのかもしれませんね。
お店の中

慌ただしい昼食となってしまいましたが、美味しいワンコそばを味わえてよかったなあ。。

さて、二泊三日の東北旅行もあとは帰るだけとなりました。さらっと代表的な東北の観光名所を回ったツアーでしたが中身は濃く、私どもには価値あるツアーでしたね。

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優香苑 朝食編

さて優香苑の朝食です。 朝食はバイキング やっぱり窓際の席が特等席ですね、、
三陸のお漬物
おやじのチョイス  さらっとが朝食のテーマでした。
優香苑はいろいろな旅館紹介サイトで表彰され、また、温泉紹介番組にも取り上げられ、さらに、TVのロケに使われています。 映像映えするお風呂なのは確かで、泉質も良いですし、現代の日本の温泉宿はどうあるべきか、を真面目に探求しているような印象のお宿です。 

も一度来てみたいですが、、タバコ臭がするお部屋は勘弁して欲しい。


タクシー
 

熊出没注意の看板が旅館の裏手にありました。
カメムシの除去方法とてんとう虫の逃し方の解説。 むむ、この扱いの差が少し引っかかります。


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優香苑 風呂編


優香苑のお風呂は、とても広い露天風呂がある”とよさわの湯”と、夜はライトアップで幻想的な”こもれびの湯”、日帰り温泉で広い庭園を眺めながら入浴できる”なごみの湯” があります。

Ph9.3のアルカリ性で、所謂美肌の湯です。肌にまとわるヌルヌルがはっきりとわかるアルカリ性温泉は久しぶり。 ちなみにヌルヌル度おやじランキングでは、Ph10.3の広澤温泉の玉翠楼(ここ→)、Ph9.6梅ヶ島温泉のいちかわ(ここ→)の次ぐらいでしょうか。


「こもれびの湯」は、幻想的でした。冷たい外気の漆黒の闇夜に露天風呂に浸かっていると、視線の先にはライトアップされた木がポツンと湯面に浮かんでいます。淡い光に揺らぎながら立ち昇る湯煙を辿って夜空を見上げれば、三日月が冴えた光を放っている。。そんな闇に映える光を演出した露天風呂でした。




「なごみの湯」は、やはり闇の中にライトアップされた庭園を見ながらの露天風呂です。かなり広い露天風呂でした。日帰り温泉のなごみの湯までは、ワゴンでピストン輸送してくれます。ほんの1分ぐらいです。
この坂を登った右手がなごみの湯
写真の右の緑色のライトは、露天風呂の庭の照明だと思います。

「こもれびの湯」での視線は、湯面から天空へ、そして川のせせらぎが木霊していいる露天風呂です。
 
「なごみの湯」での視線は、庭のガーデンライトを追う横方向に、そして湯が流れ落ちる音だけが響く静寂の露天風呂です。

どちらの露天風呂も、光の演出に誘われて、ゆっくりと心の凝りがほぐされ、次第に穏やかに、そして明鏡止水の心境へ、、、ゆったりと瞑想に入れる露天風呂であったように思います。


一方、「とよさわの湯」は世俗に帰るお風呂でありました。
とにかく広い露天風呂なのですが、隣の建物にカラオケがあり、会社の団体さんが新年会をやっていてカラオケと酔った濁声と歓声が響いてきて、うーん、忘れてしまいたい、忘れていたはずの数々の失敗がフラッシュバックし、後悔の念がソンビのように蘇ってきます。勘弁してくれー!! 

で、どうしたかですか? もちろん、も一度「こもれびの湯」へ。


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優香苑 夕食編

さて、優香苑の夕食です。 赤色の食材が多く、艶やかな食卓でした。 

小鉢 (鮑、三陸鮑肝豆腐、茄子ソース、大黒湿地芹、芽かぶ醤油)

前菜(鴨林檎パイ、牡蠣オイル蒸し、鮟鱇奉書巻、蓮根胡麻豆腐塩辛焼、水菜) どれもこれも綺麗で箸をつくつけるのを躊躇ってしまいました。
お造り
鍋物の具 岩手牛 柔らかなお肉でした。
鍋物のスープは、南瓜スープ仕立てです。美味しいスープで、おやじは南瓜はあまり好きではないのですが、スープはさらって完食でした。
これはおやじの別注 ”岩魚の骨酒”  
蒸し物 蕪霙(みぞれ)絞り 鱶鰭 べっこう餡
煮物 鮭白菜巻き 大根 竹の子 梅人参 ミニ青梗菜 柚子味噌餡
焼き物 鮃彩り素焼き もち麦リゾット風 野菜ピクルス 南部あられチーズ押し
これ美味しかったです。 握り寿司みたいにパクッと食べると口の中に宇宙が広がりました。これもう一度食べたいです。
豆ご飯、山芋汁
水菓子
食事は大広間でいただきました。  楽しめた夕食だったかな。


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