鎌倉 壽福寺(寿福寺)

湘南倶楽部を後にして向かったのは、壽福寺(寿福寺)

外から一見すると、少し寂れた感じがするのですが、なんのなんの寿福寺はとても由緒あるお寺で、鎌倉五山の第三位のお寺です。

鎌倉五山は、鎌倉幕府が臨済宗の日本の禅宗のうち、臨済宗の寺院を格付けをする制度で、幕府が任命した住持(住職)を順次上位の寺に昇進させることにより、幕府の管理下に置いていて、鎌倉五山は、「第一位 建長寺」「第二位 円覚寺」「第三位 寿福寺」「第四位 浄智寺」「第5 浄妙寺」
山門から覗く参道が格式が高く、しっかりと守られてきたのがよくわかります。

松島の瑞巌寺(これ→)は、参道の両脇に杉の木が並んでいて(残念ながら大半が震災で枯死してしまいましたが)とても印象的でしたが、寿福寺もスケールはやや小さいですが、同様に杉の木が並んでいて、とても厳かな雰囲気の参道です。
 鎌倉幕府を創建した源頼朝の父の源義朝の館が、かってこの場所にあったといわれています。 頼朝の没後に、北条政子が明菴栄西を招いて寿福寺を創建。栄西はお茶を飲む習慣を日本に伝えたそうな。 創建当時は七堂伽藍を擁し、かなり大規模な寺院だったが、鎌倉時代に焼失。 南北朝時代に再建されたと推定されています。 
石畳の意匠がさりげなく見事です。

中門から本堂を覗いたもの。 梅が満開でした。 
寿福寺は総門から中門までの参道と、裏山の墓地しか公開されていません。
正月七草までと五月初めの一週間にかぎって、本堂前まで入ることが可能だそうです。
 中門の横の梅が見事でした。 しばし見惚れてしまいました。
 中門周辺
 境内には市指定天然記念物のビャクシン
 境内裏手の墓地には、陸奥宗光、高浜虚子、星野立子、大佛次郎などの墓があり、さらにその奥のやぐら(鎌倉地方特有の横穴式墓所)には、北条政子と源実朝の墓と伝わる五輪塔があるそうですが、そこまで行かず中門から引き返しました。
 参道の途中の梅
歴史に想いを馳せながらの参道を戻りました。

このブログを書いていたら、TVCMで吉永小百合さんが、歴史とは学ぶものでなく、旅するものであると。 いいこと言いますね。 確かに。 


歴史とは学ぶものでなく、旅する(訪れる)ものですね。。。
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