常照寺から歩いて向かったのは、参道紅葉トンネルの光悦寺
石畳の途中で写真はご法度。 写真を撮っていて転んで怪我をした事からの措置だそうです。
石畳を渡り切ってからの撮影はOK 下の写真は境内から山門を写したもの。
だいぶ散ったようですが、まだまだ参道は紅色の彩り。
一番左の写真は、山門からの写真
境内には7つの趣の異なる茶室があります。茶室の周囲には菱形模様の竹垣があり、光悦垣と呼ばれるそうです。
「過去・現在・未来」の意味があると言われている三巴亭(さんばてい)
境内から眺める鷹峯三山と京都の景観
京都を山奥から眺めている感じになります。
鷹峯三山
1615年(元和1)徳川家康よりこの地を与えられた本阿弥光悦が、一族や工匠等と共に移り住み芸術郷を築きいた。光悦は、刀剣鑑定のほかにも、多くの才能に優れており、芸術指導者としても活躍した。光悦が亡くなった後に、本阿弥家の位牌堂は本法寺の日慈上人によって光悦寺として改められたそうです。
ここは京都盆地の外れですが、結構な山奥で谷も深く、光悦が芸術郷を築く前は、強盗追い剥ぎが出没する物騒な地であったとかで、ピンとくるものがあります。