総門の鬼瓦。 この鬼瓦は、手塚治の火の鳥に出てくる鬼瓦とよく似ています。
お寺の入り口
入り口を過ぎるとすぐに、参道沿いに梅園があります。
どの梅も水墨画を連想させる枝振りです。梅の季節はきっと綺麗なのでしょうね。
紫の諸葛菜の花が咲いていました。 三国志の諸葛孔明が栽培を広めたので、諸葛菜と名付けられたとか。
参道が左右の男坂と女坂に分かれています。左が旧道で右が新道なのかな?
山門近くにあった湧水
山門
仏殿 ここも梅が見事です。
ご本尊の釈迦如来。
書院? それとも茶室? 瑞泉寺の伽藍は大正以降に再建されたのだそうです。
瑞泉寺の石庭です。
あの京都苔寺や天龍寺を手掛けた夢想疎石(むそうこくし)作。。。。。
初めて見たのですが、なんだか水も濁っているし、岩肌も荒れている印象で、苔寺や天龍寺のようなインパクトはなく、きょとんとしてしまったのですが、それもそのはず。
この石庭は、草木に埋もれていたのを昭和45年に発掘し復元したそうです。また、この石庭は、こちらから眺めるものではなく、天女洞と呼ばれる洞から座禅を組んで眺める庭だとか。 確かに、瑞泉寺のHPの洞からの庭は素晴らしいです。(ここ→)
また、庭から裏山の錦屏山に登ると山頂に一覧亭があり、富士山、相模湾の一大庭園を一覧できる趣向だそうです。 残念ながら今は立入禁止です。
そういえば、裏山は天園ハイキングコースです。小学生と中学生の頃に、何度か天園ハイキングコースで鎌倉まで来たことがあります。 当時は、結構沢山の人がハイキングしていて、大賑わいのハイキングコースでしたが、山道の途中に、木立が途切れる岩場があり、鎌倉の街、相模湾、富士山が突然現れ、あまりの雄大な景色に子供ながら感嘆の声をあげた覚えがあります。 きっと、あのような景色なのでしょう。
雄大な景色を庭に組み入れてしまう夢想疎石の原点がここ?
どこもく地蔵 このお地蔵さんのいわれは面白いです。 昔、この地蔵堂の堂守が貧乏な暮らしに苦しんでいた。堂守を投げ出して、どこか他国へ移り住もうか、その方が生活も楽になるかも知れない、と日々考えていた。そんなある日、夢枕に地蔵が現れ「どこもく、どこもく・・・」と言って消えてしまった。
夢から覚めた堂守は言葉の意味を考えたが、どうにもわからない。そこで八幡宮の供僧に尋ねてみると、「どこもくとは『どこも苦』のことである。今の境遇が辛いからといって逃げ出しても、苦労は必ずついて回るものである。そのことを地蔵が教えて下さったのだ。」 堂守は自らの浅はかさを悟り、地蔵堂を一生懸命守りつづけたということである。 どこも苦 どこも苦
どこもく地蔵尊 遠くから見ると眼光が鋭いです。 逃げちゃ駄目なんだよなあ。
これも石庭?
毘沙門天様
HPによると、瑞泉寺は鎌倉公方(鎌倉府の長)の菩提寺(ぼだいじ)として、鎌倉五山に次ぐ関東十刹(かんとうじゅっさつ)に列せられた格式のある寺院。
山号の錦屏山(きんぺいざん)は、寺を囲む山々の紅葉が錦(にしき)の屏風のように美しいことから名付けられた、とあります。 紅葉や梅のシーズンにも一度来ましょう。