京都 東福寺 紅葉・演出効果抜群の庭園

 11月下旬に京都のお寺の紅葉巡りの日帰りバスツアーに参加してきました。やはり紅葉は京都ですね。。。圧巻の一言につきます。 

この日朝早く小松の集合場所から京都へ出発。バスで約3時間ですかね。
京都に到着 まずは東福寺に向かいました。
東福寺への参道。 紅葉が奇麗で雰囲気も素晴らしく、嫌でも期待してしまいます。
東福寺に向かう屋根のかかった橋(臥雲橋)を通ると、谷に紅葉が広がり、その向こうに橋と並行の回廊が目に入ってきます。なんと演出効果抜群の秀逸なデザインでしょう。
下の写真が谷です。 水路の両側に橋の回廊(通天橋)あります。
谷が紅葉で覆いつくされていて圧巻
黄色の紅葉が新鮮でした。
境内は、臨済宗大本山 東福寺 -日本最古の最大級の伽藍- (tofukuji.jp)をご覧になるとよくわかります。
ここは境内案内図の経蔵の裏あたり。 皆さんここから谷に向かいます。

谷を通って、開山堂→通天橋→方丈庭園がルートなのですが、開山堂には、多くの人が並んでいて動かないので、通天橋に向かい(上の写真)、そして方丈庭園を見学。

枯山水 京都らしいですよね。見学している人は沢山いるのですが、庭園は静寂があたりを包み込んでいます。

方丈庭園とは、東西南北の周囲に庭園があるという意味だそうです。

ここは南庭
東庭
北庭
西庭
 
東福寺 素晴らしい庭園、そして紅葉でした。地形を利用した演出。。ここを作った寺と庭園の設計施工者は面白かったでしょうね。。。

我が家も東西南北に庭を作ってみたい、、、うーん、箱庭なら可能かな?

臥雲をコトバンクで調べると、(くもの中に横たわる意から) 隠居すること。隠居して仙道に志すこと。隠れ住んで仕えないこと。また、仕えることをやめて隠れ住むこと。なのだそうです。  

私ももうすぐ臥雲だなぁ



柏崎 松雲山荘庭園 紅葉ライトアップ

 新潟紅葉バスツアーの最終観光地は、柏崎 松雲山荘

”松雲山荘」は柏崎ガス会社の創設者・飯塚謙三氏の旧居で、大正15年に伊藤武陵画伯筆の六曲屏風絵をもとに築庭されました。昭和46年に飯塚謙三氏から柏崎市へ譲渡されました。”なのだそうです。 

15:30からの観光で、生憎の雨のなかを散策していて 16:10。そろそろバス集合時間、戻らなくては、と思った途端にライトアップが始まりました! 

小山全体が庭園になっています。そういえば長岡のもみじ園も小山に築かれていました。

ここの紅葉は真っ赤でした。


わりとこじんまりとした印象ですが、もちろん個人庭園としては大きいものです。

この写真はライトアップ前のものです。やっぱり真っ赤。

これにて新潟紅葉ツアーは幕を閉じました。

今回の新潟紅葉観光明日ツアーは政財界人が築いた庭園が紅葉観光の中心でした。そういえば新潟は力強さを感じさせる風景で、田中角栄元総理大臣を輩出したのも、新潟の風景とは無縁ではないのかもしれません。 新潟は力強い土地柄でした。


弥彦公園紅葉 海風亭寺泊日本海

弥彦神社外苑の弥彦公園、ここの紅葉は凄っごいです。 
ここは、山一帯を、もみじ、トンネル、橋、池、階段で庭園となっています。これでもか、というぐらいモミジで埋め尽くされ、どこでも黄色、橙、紅のグラデーションが目に入ってきます。 わぁぉ 凄い!

観月橋周辺が見どころ
観月橋の上の楓
もみじ谷
トンネルを抜けると紅葉でした。 
水芭蕉園
花菖蒲園
大正五年(1916)、現在のJR弥彦線の前身である参宮線開通を機に越後鉄道株式会社(当時)の駅舎と一体の公園として整備されたことを始めとし、昭和三十七年(1962)彌彦神社外苑として献納されたそうです。
遠くに見えるのが弥彦山だったかな。九州の英彦山とあとどこかの彦山との三大彦山と紹介されてたっけ。。

そうそうツアーの昼食は、寺泊の海風亭日本海でいただきました。
近くに海産の市場街があり、寺泊はなかなか面白うそうな街ですね。
遠くにうっすら佐渡島が見えていました。

弥彦公園にご興味がある方には、HP 弥彦公園 - 新潟県弥彦村 (niigata-yahiko.com)
一読される事をお勧めします。 紹介文の出だしが、「私は太平洋に面した県が出身ですので、日本海の雰囲気がとっても新鮮に感じます。なんだかとても空気が澄んでいるように感じ、風もそんなに強くなくこの静けさが大好きです。」とありますが、この表現に強く共感。

7月に横浜から北陸に越してきましたが、見るもの、口にするもの、肌で感じるものすべてが新鮮です。 こちらで親しくなった皆様にそういうと、異口同音に”一冬過ごしてから感想を聞きたい。”と言われてしまいますが、、、さーて、この冬が楽しみなのであります。







 

長岡のもみじ園 越後湯沢のナスパニューオータニ

もみじ園は明治29年頃、越路・神谷の大地主である高橋九郎によって作られた別荘とその庭園。高橋九郎氏は衆議院議員を務めたが、渋沢栄一に触発されて北越銀行の基になった「神谷信用組合」の創業者で、政財界で活躍した人物だそうです。



当初は、自宅で政財界人のもてなしていたそうですが、来客用に自身の広大な敷地を一望できる山の上に別荘を建てたそうです。 上の写真の部屋から、敷地と自宅が一望できたとか。 下の写真の住宅地になっているところに自宅があったそうです。


京都に滞在することが多かった高橋氏は、京都の秋の紅葉を山荘で再現しようと、京都のモミジを移植したそうです。 モミジに北陸の冬に慣れさせるために1年かけたそうな。

やっぱり真っ赤な紅葉のルーツは京都なんだなぁ が、親父の実感
樹齢150‐200年だそうで、維持管理もたへんだとか。
明治の頃は、地面が一面苔で覆われていたのかなぁ
明治の政財界人は質実剛健ですが風流ですよね。
越路・神谷の発展に思いをはせた高橋九朗氏
その意志は、田中角栄へと引き継がれたのでしょうか。
ここでツアーで宿泊したナスパニューオータニをちょっと紹介。
ホテルからの景色
食事はバイキング  食材の取り方汚くてすみません。。。。へぎそば、カニ、ブリ、現地の食材中心にチョイスしたつもりです。
お部屋 6人部屋でした。 広い大浴場は温泉でした。 沢山のスキー客を受け入れられるように建てられたリゾートホテルという印象です。リゾートマンションとしても部屋が販売されていました。スキー場も隣接されていて、連日スキーに宿泊されるような方には絶好のポジションかもしれませんね。

また、従業員の方達の心のこもった受け答えが好印象。越後湯沢の特徴なのか、ホテルの姿勢が表れているのかわかりませんが、マニュアルでなく相手の状況をよく見て話をしてくれて、とても気持ち良く過ごすことができました。
越後湯沢から長岡に向かう高速道路からの南魚沼の景色

越後湯沢は新幹線で通りすぎることが多かったのですが、もっと訪れればよかったなぁ
なかなか良いところ。さて、まだまだ越後の紅葉巡りは続きます。