京都 妙心寺・退蔵院(閉門後の特別訪問/名店「阿じろ」の精進料理)

 夕食は、タイトルのとおり、妙心寺・退蔵院(閉門後の特別訪問/名店「阿じろ」の夕食)です。 ライトアップされた庭園に満月を貸切状態。 贅沢なひとときでありました。

閉門後なのであたりはもう真っ暗です。



退蔵院 元信の庭
狩野元信の枯山水庭園。 障子を開けると広がる庭園は演出効果抜群
この枯山水には、一年中変わらない美しさ「不変の美」を求め、常緑樹を主に植えてあるそうです。
説明してくださった副住職さんによると、長い年月で汚れてきた白い砕石を洗浄したそうですが、深さ15cmびっしりと敷き詰めてあったでそうです。


『瓢鮎図(ひょうねんず)』
禅問答を表現していると言われる「ただでさえ捕まえにくいなまずを、こともあろうに瓢箪で捕まえようとする。」この矛盾をどう解決するか、将軍義持が京都五山の禅僧31人に賛詩を書かせてある掛け軸。
さて、退蔵院の説明を聞いたのち、庭園を通って大休庵で「阿じろ」の精進料理の夕食です。

精進料理 おやじには珍しく、ゆっくりとゆったりと噛み締めながらいただきました。
割と味付けは濃いように思います。
一番印象に残った 達磨うどん 一見お蕎麦みたいですが、きなこで作った麺? 外側がぱりっとした甘くないモンブランみたいな食感でした。 お汁は家内によると、昆布、どんこ、かんぴょう、炒り大豆が出汁だそうです。さらに九条葱と生姜があわさっていました。 はじめてのお味でした。
なんとなく慌ただしい一日だったのですが、最後はゆっくり、ゆったりでき、気分はしだいに安閑としてきました。
満月の照らされた庭園を眺めながら、熱燗をちびちびとやりたいな。
ここのお庭にはたいへん立派な枝垂れ桜があります。 
桜満開の頃にもう一度訪れてみたいものです。 また貸切で、、


さて、この日の宿泊は、京都駅の真前にあるエルシエント京都。
家内は、いろんなところが考えられていて気に入ったそうです。 
大浴場の椅子や蛇口のお湯の量が完璧、Body Towelも備えている!
と喜んでいました。
おやじの感想は、限界ぎりぎりの狭さ、おやじもびっくりの小さなユニットバスに苦笑い。
駅前だから仕方がないか

京都府立植物園 水面・夕陽に映える紅葉

次は京都植物園 夕方近くになり日が陰ってきて寒そうです。 正直、「おいおい植物園かよ、時間調整するぐらいなら、光悦寺と常照寺をもっとゆっくり散策したかったのに」と思ってしまったのですが・・公園ガイドさんの説明が面白いので、花や木、庭園の説明に惹き込まれて奥へ、奥へと向かうと、、突然現れたのが下の写真。

一瞬でも行程を疑ったのは浅慮でありました。 水面と夕陽に映える紅葉の行程だったのですね。ツアーを企画した方に感謝いたします。素晴らしい行程計画です。

水面に紅葉が映え、圧巻の景色です。
そして、夕陽にも紅葉が映えていました。

広い植物園ですので、もちろん紅葉だけではありません。
夕日のフランス式の沈床花壇
噴水の地面は一段低くなっているので沈床花壇なのだそうです。 視覚効果を狙ったものなのですね。 カイヅカイブキの段々カットは、日本の職人さんの技で世界では珍しいと、ガイドさん 
     

    


薔薇園やコスモス園もありました。

道の両側の木は、楠。 ガイドさんに、楠は樟脳の原料になるので、落ちている小枝を割って匂いを嗅ぐと涼しげな匂いがすると教えてもらい、小枝を拾っては、パキっと割って匂いを嗅ぎながらぶらぶら歩いていると、なんだか童心に帰ってゆきます。
園の正門近くの景色

賀茂川

さて、日も暮れてきました。 次は楽しみな夕食です。

園内のボランティアガイドさんはマスクでしたが、お声と目やメガネは、新型コロナ対策の尾身茂委員長に似ているなあ、と、これまた興味深かったです。 ガイドさんにはいろいろ説明してもらい、好奇心が湧き、あっという間の2時間でした。 ありがとうございました。



京都 光悦寺(参道は紅葉のトンネル)

常照寺から歩いて向かったのは、参道紅葉トンネルの光悦寺
石畳の途中で写真はご法度。 写真を撮っていて転んで怪我をした事からの措置だそうです。
石畳を渡り切ってからの撮影はOK  下の写真は境内から山門を写したもの。

だいぶ散ったようですが、まだまだ参道は紅色の彩り。

一番左の写真は、山門からの写真
境内には7つの趣の異なる茶室があります。
茶室の周囲には菱形模様の竹垣があり、光悦垣と呼ばれるそうです。
「過去・現在・未来」の意味があると言われている三巴亭(さんばてい)
境内から眺める鷹峯三山と京都の景観
京都を山奥から眺めている感じになります。
鷹峯三山
1615年(元和1)徳川家康よりこの地を与えられた本阿弥光悦が、一族や工匠等と共に移り住み芸術郷を築きいた。光悦は、刀剣鑑定のほかにも、多くの才能に優れており、芸術指導者としても活躍した。光悦が亡くなった後に、本阿弥家の位牌堂は本法寺の日慈上人によって光悦寺として改められたそうです。

ここは京都盆地の外れですが、結構な山奥で谷も深く、光悦が芸術郷を築く前は、強盗追い剥ぎが出没する物騒な地であったとかで、ピンとくるものがあります。



 

京都 常照寺 吉野太夫吉野門

お次の紅葉は、二代目吉野大夫が寄進した吉野門がある常照寺。

吉野大夫は名前を聞いた程度の知識しかありませんでしたが、調べてみるととても興味深い。美貌だけではない才色兼備の女性だったそうです。 吉野大夫の名は女性は十代まで継承されたそうですが、二代目吉野太夫は1606年生まれ。7歳で禿となり、14歳で太夫に昇進。あでやかな美貌を持ち、さわやかで知恵深い、香道の名手。吉野太夫は和歌、連歌などの歌の才能、琴など楽器を演奏する音楽的素養も持ち、茶道や華道、書道に加えて、お客の相手をするための双六、囲碁まであらゆる事に秀でた才女として有名だったそうです。しかも性格も良く、宴席の取り持ちが上手で、客の心を惹きつけて離さなず、贔屓筋には名だたる大名や公家が並び、明の皇帝までもが夢見たとか。

吉野と言う名は、彼女が楼前の桜を見て「ここにさへ、さぞな吉野は花盛り」と詠んだからと言われているそうです。 常照寺では毎年4月に吉野大夫花供養が行われ、島原大夫の美しい姿を見学できますが、今年はコロナで中止。

吉野大夫が寄進した吉野門
本堂

駆け足の参拝で、じっくりと見て回る時間がありませんでしたが、分厚く積もった紅葉が印象的でした。また、吉野大夫や花供養を知るきっかけとなりました。 旅はいいもんだなあ。

 

しょうざんリゾート京都 庭園

このところ連日新型コロナ第三波のニュースが流れており、外出の自粛が声高に連呼されるようになってきました。 そんな最中、京都ツアーに行ってきました。 ツアーは、「京都の紅葉と食事」がコンセプトのツアーです。

旅行バッグをガラガラ引っ張って通勤電車に乗り込むのはいささか気が引け、もちろん感染リスクなど散々悩みましたが、決心。

ツアーは、「京都の紅葉と食事」がコンセプトのツアーです。

京都に到着してすぐに「しょうざんリゾート京都」で昼食。ここは、江戸初期に本阿弥光悦がこの地に「工芸村」を築き、戦後、西陣の呉服商が「美しい着物は美しい環境で」の人間哲学をもとに、消失の運命にあった日本の建造物を移築し、広く万人に知ってもらおうと公開したのがはじまりだそうです。

紅葉の盛りは過ぎていました。 天候不順で例年より1−2週間紅葉の盛りが早かったそうです。

紅葉の名残が地面に残っていました。ものすごい量の楓の落ち葉。
庭園の入り口近く 北山杉が印象的です。
盛りを過ぎてこの赤さ。 紅葉の盛りではさぞや美しかったでしょうね。
酒樽で作った茶室
京都の北方の杉を北山杉と呼ぶ?
真っ直ぐに伸びるので床柱に使われるそうな。

緑の苔に赤い楓の落ち葉
庭園入り口
ちなみにこれが昼食

さあ京都ツアーの幕が上がりました。