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長岡のもみじ園 越後湯沢のナスパニューオータニ

もみじ園は明治29年頃、越路・神谷の大地主である高橋九郎によって作られた別荘とその庭園。高橋九郎氏は衆議院議員を務めたが、渋沢栄一に触発されて北越銀行の基になった「神谷信用組合」の創業者で、政財界で活躍した人物だそうです。



当初は、自宅で政財界人のもてなしていたそうですが、来客用に自身の広大な敷地を一望できる山の上に別荘を建てたそうです。 上の写真の部屋から、敷地と自宅が一望できたとか。 下の写真の住宅地になっているところに自宅があったそうです。


京都に滞在することが多かった高橋氏は、京都の秋の紅葉を山荘で再現しようと、京都のモミジを移植したそうです。 モミジに北陸の冬に慣れさせるために1年かけたそうな。

やっぱり真っ赤な紅葉のルーツは京都なんだなぁ が、親父の実感
樹齢150‐200年だそうで、維持管理もたへんだとか。
明治の頃は、地面が一面苔で覆われていたのかなぁ
明治の政財界人は質実剛健ですが風流ですよね。
越路・神谷の発展に思いをはせた高橋九朗氏
その意志は、田中角栄へと引き継がれたのでしょうか。
ここでツアーで宿泊したナスパニューオータニをちょっと紹介。
ホテルからの景色
食事はバイキング  食材の取り方汚くてすみません。。。。へぎそば、カニ、ブリ、現地の食材中心にチョイスしたつもりです。
お部屋 6人部屋でした。 広い大浴場は温泉でした。 沢山のスキー客を受け入れられるように建てられたリゾートホテルという印象です。リゾートマンションとしても部屋が販売されていました。スキー場も隣接されていて、連日スキーに宿泊されるような方には絶好のポジションかもしれませんね。

また、従業員の方達の心のこもった受け答えが好印象。越後湯沢の特徴なのか、ホテルの姿勢が表れているのかわかりませんが、マニュアルでなく相手の状況をよく見て話をしてくれて、とても気持ち良く過ごすことができました。
越後湯沢から長岡に向かう高速道路からの南魚沼の景色

越後湯沢は新幹線で通りすぎることが多かったのですが、もっと訪れればよかったなぁ
なかなか良いところ。さて、まだまだ越後の紅葉巡りは続きます。





紅葉の黒部峡谷トロッコ列車 見事な景観

 黒部峡谷トロッコ列車そして紅葉を観光してきました。 いや素晴らしい景観です。 めくるめく山々が絶壁ばかり。峡谷と渓谷の違いをはっきりと認識することができました。

写真は終点の欅平駅の展望台からの眺望。橋は奥鐘橋
河原展望台(面白いネーミングだと思うのは私だけでしょうか。。。)から奥鐘橋を望む
人喰岩から欅平駅を望む。
深い谷でまさしく峡谷。 ただ、私も家内もこの日まで黒部渓谷だと思っていました。正しくは黒部峡谷だったのですね。
 川面の映りこんだ山の紅葉が素敵です。川石が氷河みたい。そういえば谷が深いのもフィヨルドに通じるものがあります。
大雨のときはこの斜面に雨水が流れてくるのでしょう。
トロッコ列車は、下流の宇奈月から上流に向けてダムを建設する毎に伸びていったそうです。
この日は晴れていて、絶好のトロッコ日和
トンネルの中はひんやりとしています。
日が陰ってくるとかなり冷えてきました。
欅平に到着したのは午後2時でしたが、谷が深いので陽の光は川には届いていませんでした。快晴に感謝しなければいけませんが、黒部峡谷は午前中の欅平到着がお勧め。 

でも、行ってよかった。百聞は一見に如かず。 黒部峡谷はほんとに見事な景観でした。






京都府立植物園 水面・夕陽に映える紅葉

次は京都植物園 夕方近くになり日が陰ってきて寒そうです。 正直、「おいおい植物園かよ、時間調整するぐらいなら、光悦寺と常照寺をもっとゆっくり散策したかったのに」と思ってしまったのですが・・公園ガイドさんの説明が面白いので、花や木、庭園の説明に惹き込まれて奥へ、奥へと向かうと、、突然現れたのが下の写真。

一瞬でも行程を疑ったのは浅慮でありました。 水面と夕陽に映える紅葉の行程だったのですね。ツアーを企画した方に感謝いたします。素晴らしい行程計画です。

水面に紅葉が映え、圧巻の景色です。
そして、夕陽にも紅葉が映えていました。

広い植物園ですので、もちろん紅葉だけではありません。
夕日のフランス式の沈床花壇
噴水の地面は一段低くなっているので沈床花壇なのだそうです。 視覚効果を狙ったものなのですね。 カイヅカイブキの段々カットは、日本の職人さんの技で世界では珍しいと、ガイドさん 
     

    


薔薇園やコスモス園もありました。

道の両側の木は、楠。 ガイドさんに、楠は樟脳の原料になるので、落ちている小枝を割って匂いを嗅ぐと涼しげな匂いがすると教えてもらい、小枝を拾っては、パキっと割って匂いを嗅ぎながらぶらぶら歩いていると、なんだか童心に帰ってゆきます。
園の正門近くの景色

賀茂川

さて、日も暮れてきました。 次は楽しみな夕食です。

園内のボランティアガイドさんはマスクでしたが、お声と目やメガネは、新型コロナ対策の尾身茂委員長に似ているなあ、と、これまた興味深かったです。 ガイドさんにはいろいろ説明してもらい、好奇心が湧き、あっという間の2時間でした。 ありがとうございました。



京都 光悦寺(参道は紅葉のトンネル)

常照寺から歩いて向かったのは、参道紅葉トンネルの光悦寺
石畳の途中で写真はご法度。 写真を撮っていて転んで怪我をした事からの措置だそうです。
石畳を渡り切ってからの撮影はOK  下の写真は境内から山門を写したもの。

だいぶ散ったようですが、まだまだ参道は紅色の彩り。

一番左の写真は、山門からの写真
境内には7つの趣の異なる茶室があります。
茶室の周囲には菱形模様の竹垣があり、光悦垣と呼ばれるそうです。
「過去・現在・未来」の意味があると言われている三巴亭(さんばてい)
境内から眺める鷹峯三山と京都の景観
京都を山奥から眺めている感じになります。
鷹峯三山
1615年(元和1)徳川家康よりこの地を与えられた本阿弥光悦が、一族や工匠等と共に移り住み芸術郷を築きいた。光悦は、刀剣鑑定のほかにも、多くの才能に優れており、芸術指導者としても活躍した。光悦が亡くなった後に、本阿弥家の位牌堂は本法寺の日慈上人によって光悦寺として改められたそうです。

ここは京都盆地の外れですが、結構な山奥で谷も深く、光悦が芸術郷を築く前は、強盗追い剥ぎが出没する物騒な地であったとかで、ピンとくるものがあります。