今日は、推古天皇6年(598年)に聖徳太子が開山したと伝承される鹿野山神野寺へ。 古刹の雰囲気があふれています。 廃仏毀釈までは、将軍様でないと入れず、家来は山門のところで待機だったとか。
仁王門には、仁王様の裏側に多聞天と広目天が安置されていました。 うろ覚えですが、たしか中国のお寺は、四天王、明王、菩薩、如来+十二神将の順にお堂が並んでいたような気がします。日本に仏教が伝えられ時が経つにつれて少しづつ形がかわったのかもしれませんね。
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左から仁王様(吽形)、多聞天(毘沙門天)、広目天 |
本堂は、大きな作りです。 薬師如来(病を癒す)と軍荼利明王(外敵粉砕)がご本尊だそうです。本堂の裏側には、聖徳太子像が安置され、屋根には、迫力のある顔をしたチカラオトコ。 下左が阿(口を開いている)、下右が吽(口を閉じている)です。
阿吽というのは、あいうえおの最初の”あ”から最後の”ん”まで、最初から最後までを現し、日本語のあ~んは、それぞれ神を意味するのだそうです。 知りませんでした。
神野寺の奥の院のご本尊は天狗様。 スポーツの上達、足腰のご守護ということです。 早速、三男坊のために祈願。 赤い天狗様の下駄に触れて祈願するのだそうです。
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奥の院の木鼻。狛犬が身をよじっていて正面を向いています。 |
学問の神様の天満宮もあり、ここでも三男坊のために祈願。
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本堂を出ると、隣に宝物殿と道場があります。 宝物殿には、徳川家光が奉納した屏風や龍の掛け軸、動物の剥製、道場にはいろんな石(パワーストーン)が置いてあって、そしてここでも、ひときわ目を引くのは幼虎の剥製、6匹はあったでしょうか、壁には虎の写真、ずいぶんと虎が多い、、、それもそのはず、1979年にトラ脱走事件で有名になったあのお寺でした。 当時は神野寺の境内には動物園が併設され、虎は十二頭飼育され、そのうちの2頭が脱走。 確か一ヶ月近く逃げていたのではないでしたっけ。事の是非はともかく、
確かに軍荼利明王の力強さがみなぎっているお寺でした。
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