京都 常照寺 吉野太夫吉野門

お次の紅葉は、二代目吉野大夫が寄進した吉野門がある常照寺。

吉野大夫は名前を聞いた程度の知識しかありませんでしたが、調べてみるととても興味深い。美貌だけではない才色兼備の女性だったそうです。 吉野大夫の名は女性は十代まで継承されたそうですが、二代目吉野太夫は1606年生まれ。7歳で禿となり、14歳で太夫に昇進。あでやかな美貌を持ち、さわやかで知恵深い、香道の名手。吉野太夫は和歌、連歌などの歌の才能、琴など楽器を演奏する音楽的素養も持ち、茶道や華道、書道に加えて、お客の相手をするための双六、囲碁まであらゆる事に秀でた才女として有名だったそうです。しかも性格も良く、宴席の取り持ちが上手で、客の心を惹きつけて離さなず、贔屓筋には名だたる大名や公家が並び、明の皇帝までもが夢見たとか。

吉野と言う名は、彼女が楼前の桜を見て「ここにさへ、さぞな吉野は花盛り」と詠んだからと言われているそうです。 常照寺では毎年4月に吉野大夫花供養が行われ、島原大夫の美しい姿を見学できますが、今年はコロナで中止。

吉野大夫が寄進した吉野門
本堂

駆け足の参拝で、じっくりと見て回る時間がありませんでしたが、分厚く積もった紅葉が印象的でした。また、吉野大夫や花供養を知るきっかけとなりました。 旅はいいもんだなあ。

 

しょうざんリゾート京都 庭園

このところ連日新型コロナ第三波のニュースが流れており、外出の自粛が声高に連呼されるようになってきました。 そんな最中、京都ツアーに行ってきました。 ツアーは、「京都の紅葉と食事」がコンセプトのツアーです。

旅行バッグをガラガラ引っ張って通勤電車に乗り込むのはいささか気が引け、もちろん感染リスクなど散々悩みましたが、決心。

ツアーは、「京都の紅葉と食事」がコンセプトのツアーです。

京都に到着してすぐに「しょうざんリゾート京都」で昼食。ここは、江戸初期に本阿弥光悦がこの地に「工芸村」を築き、戦後、西陣の呉服商が「美しい着物は美しい環境で」の人間哲学をもとに、消失の運命にあった日本の建造物を移築し、広く万人に知ってもらおうと公開したのがはじまりだそうです。

紅葉の盛りは過ぎていました。 天候不順で例年より1−2週間紅葉の盛りが早かったそうです。

紅葉の名残が地面に残っていました。ものすごい量の楓の落ち葉。
庭園の入り口近く 北山杉が印象的です。
盛りを過ぎてこの赤さ。 紅葉の盛りではさぞや美しかったでしょうね。
酒樽で作った茶室
京都の北方の杉を北山杉と呼ぶ?
真っ直ぐに伸びるので床柱に使われるそうな。

緑の苔に赤い楓の落ち葉
庭園入り口
ちなみにこれが昼食

さあ京都ツアーの幕が上がりました。















乾徳山 恵林寺

武田信玄の菩提寺 乾徳山 恵林寺 も坐忘からの帰り道に参拝してきました。
お寺の入り口の総門 松の枝振りが目を引きます。
参道 遠くに四脚門が見えます。
この四脚門は徳川家康が再建したとか。。
さらに進むと三門。 ここら辺りで、織田信長が僧侶120名を楼閣に閉じ込めて焼き殺し、快川国師が有名な「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」と言い放ったという場所だそうです。
奥に開山堂、さらに奥に本堂があります。
この日は高校が修学旅行で恵林寺を訪れていました。
庫裡 徳川家康で再建されたのですが、明治時代に焼失し再建されたそうです。

本堂の前には枯山水
後ろには庭園
本堂
さらに奥には、人が歩くと床が軋んで音が鳴る「うぐいす廊下」、そして、信玄が生前に自身をモデルに彫らせたという不動明王が祀ってある明王殿があります。

不動明王は迫力のある仏像で、魅入ってしまいました。撮影禁止なのが少々残念

恵林寺は、鎌倉のお寺に比べると、野太く、豪壮さを強く感じるお寺でした。 同じお蕎麦でも、二八蕎麦と田舎蕎麦の違いとでもいいましょうか。。


さて、そろそろ帰らなければなりません。

桔梗屋工場で信玄餅を買いました。

帰り道、何度も何度も「坐忘に宿泊してよかった。また来たいね。」と呟いたおやじと家内でありました。 是非是非、も一度坐忘に宿泊したい。。。。



 



ぶどう寺 国宝 大善寺

 笛吹川温泉坐忘への道すがら、最初にぶどうを甲州に広めたと伝承されている大善寺に参拝しました。 参道の階段と山門、楽屋堂が厳かな雰囲気を醸し出しているお寺です。これは楽屋堂  紅葉の頃はそれはもう美しい参道なのでしょうね。国宝の薬師堂 流石に国宝です。 惚れ惚れするような雰囲気のある素晴らしいお堂です。 山門 山門前に近藤勇が陣をおいたとか。


山門の仁王像

お堂からの甲府の眺め


楽屋堂
楽屋堂の仏像
なんと言ってもこのお寺の見所は、薬師堂に祀られ公開されている国重要文化財の日光菩薩、月光菩薩十二神将です。

撮影禁止でしたので紹介できませんが、真ん中に薬師如来像を祀った厨子があり、左右にひときわ高い日光菩薩像、月光菩薩像が祀られ、菩薩の両脇に十二神将像が広がっています。 

薬師如来像は写真でしか見られませんでしたが、左手にぶどうを持っています。鎌倉時代当時?、お寺がぶどうを薬として施したそうです。

安らぎを感じさせる菩薩と、歳月で濃茶光りした十二神将が玉眼だけが白く光り厳しい顔つきでずらっと並んでいる前に座っていると襟を正さずにはいられず、また、次第に心が落ち着いてきます。

いつまでもここに座っていたい、もっと眺めていたい、そんな気分になりました。 
山門脇の大善寺の庭園
江戸初期の庭園だそうです。
松の枝振りが歳月を感じさせるのですが、これは江戸時代からずっとあるのかな???
大善寺は、奈良時代の頃は五十二堂もあったそうですが平安初期の焼失。薬師堂は鎌倉時代に再建されたそうな。

日光菩薩、月光菩薩そして十二神将にもう一度参拝したいですね。