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京都大原 宝泉院(開門前の「額縁庭園」貸切拝観)

 ツアー二日目は、宝泉院開門前の「額縁庭園」貸切拝観です。

宝泉院は三千院の参道の奥にあります。 「きょうとー、おおはらさんぜんいん。恋に敗れた女が一人、、、」のあの歌は、この三千院の事だとやっと気付きました。

大原は京都の北で、清楚な雰囲気に包まれていました。恋に敗れた女性が心を癒しに訪れるという表現は大原を的確に言い表しているように思います。 いいところです。
駐車場から漬物屋さんが並ぶ参道を登ってゆきます。
三千院の周囲はまるで城のような石垣
三千院の門前は、金沢の兼六園に似ている印象でした。宝泉院は三千院の参道の奥にあります。
宝泉院の門
額縁庭園 部屋に入ると目の前にパノラマのように額縁に囲まれた庭が広がり、凛とした圧倒感に、私も皆さんも感嘆のため息をついていました。
少人数で拝観できるのはありがたいです。心ゆくまで眺めることができました。
紅葉に夕日がさす情景が最も美しいそうです。 もう一度秋の夕刻に来てみたいです。
宝泉院は、伏見の戦いで自刃した鳥居元忠以下数百名の霊を慰めるために、自刃した床板を天井にして祀り供養していました。 足跡や血糊が滲みになっていて、写真を撮るのは気が引けました。
宝泉院はツアーでなかったら来なかったでしょうね。また、貸切で額縁庭園を拝観できました。

次回は三千院も是非訪れてみたいです。





京都 妙心寺・退蔵院(閉門後の特別訪問/名店「阿じろ」の精進料理)

 夕食は、タイトルのとおり、妙心寺・退蔵院(閉門後の特別訪問/名店「阿じろ」の夕食)です。 ライトアップされた庭園に満月を貸切状態。 贅沢なひとときでありました。

閉門後なのであたりはもう真っ暗です。



退蔵院 元信の庭
狩野元信の枯山水庭園。 障子を開けると広がる庭園は演出効果抜群
この枯山水には、一年中変わらない美しさ「不変の美」を求め、常緑樹を主に植えてあるそうです。
説明してくださった副住職さんによると、長い年月で汚れてきた白い砕石を洗浄したそうですが、深さ15cmびっしりと敷き詰めてあったでそうです。


『瓢鮎図(ひょうねんず)』
禅問答を表現していると言われる「ただでさえ捕まえにくいなまずを、こともあろうに瓢箪で捕まえようとする。」この矛盾をどう解決するか、将軍義持が京都五山の禅僧31人に賛詩を書かせてある掛け軸。
さて、退蔵院の説明を聞いたのち、庭園を通って大休庵で「阿じろ」の精進料理の夕食です。

精進料理 おやじには珍しく、ゆっくりとゆったりと噛み締めながらいただきました。
割と味付けは濃いように思います。
一番印象に残った 達磨うどん 一見お蕎麦みたいですが、きなこで作った麺? 外側がぱりっとした甘くないモンブランみたいな食感でした。 お汁は家内によると、昆布、どんこ、かんぴょう、炒り大豆が出汁だそうです。さらに九条葱と生姜があわさっていました。 はじめてのお味でした。
なんとなく慌ただしい一日だったのですが、最後はゆっくり、ゆったりでき、気分はしだいに安閑としてきました。
満月の照らされた庭園を眺めながら、熱燗をちびちびとやりたいな。
ここのお庭にはたいへん立派な枝垂れ桜があります。 
桜満開の頃にもう一度訪れてみたいものです。 また貸切で、、


さて、この日の宿泊は、京都駅の真前にあるエルシエント京都。
家内は、いろんなところが考えられていて気に入ったそうです。 
大浴場の椅子や蛇口のお湯の量が完璧、Body Towelも備えている!
と喜んでいました。
おやじの感想は、限界ぎりぎりの狭さ、おやじもびっくりの小さなユニットバスに苦笑い。
駅前だから仕方がないか

京都 光悦寺(参道は紅葉のトンネル)

常照寺から歩いて向かったのは、参道紅葉トンネルの光悦寺
石畳の途中で写真はご法度。 写真を撮っていて転んで怪我をした事からの措置だそうです。
石畳を渡り切ってからの撮影はOK  下の写真は境内から山門を写したもの。

だいぶ散ったようですが、まだまだ参道は紅色の彩り。

一番左の写真は、山門からの写真
境内には7つの趣の異なる茶室があります。
茶室の周囲には菱形模様の竹垣があり、光悦垣と呼ばれるそうです。
「過去・現在・未来」の意味があると言われている三巴亭(さんばてい)
境内から眺める鷹峯三山と京都の景観
京都を山奥から眺めている感じになります。
鷹峯三山
1615年(元和1)徳川家康よりこの地を与えられた本阿弥光悦が、一族や工匠等と共に移り住み芸術郷を築きいた。光悦は、刀剣鑑定のほかにも、多くの才能に優れており、芸術指導者としても活躍した。光悦が亡くなった後に、本阿弥家の位牌堂は本法寺の日慈上人によって光悦寺として改められたそうです。

ここは京都盆地の外れですが、結構な山奥で谷も深く、光悦が芸術郷を築く前は、強盗追い剥ぎが出没する物騒な地であったとかで、ピンとくるものがあります。



 

京都 常照寺 吉野太夫吉野門

お次の紅葉は、二代目吉野大夫が寄進した吉野門がある常照寺。

吉野大夫は名前を聞いた程度の知識しかありませんでしたが、調べてみるととても興味深い。美貌だけではない才色兼備の女性だったそうです。 吉野大夫の名は女性は十代まで継承されたそうですが、二代目吉野太夫は1606年生まれ。7歳で禿となり、14歳で太夫に昇進。あでやかな美貌を持ち、さわやかで知恵深い、香道の名手。吉野太夫は和歌、連歌などの歌の才能、琴など楽器を演奏する音楽的素養も持ち、茶道や華道、書道に加えて、お客の相手をするための双六、囲碁まであらゆる事に秀でた才女として有名だったそうです。しかも性格も良く、宴席の取り持ちが上手で、客の心を惹きつけて離さなず、贔屓筋には名だたる大名や公家が並び、明の皇帝までもが夢見たとか。

吉野と言う名は、彼女が楼前の桜を見て「ここにさへ、さぞな吉野は花盛り」と詠んだからと言われているそうです。 常照寺では毎年4月に吉野大夫花供養が行われ、島原大夫の美しい姿を見学できますが、今年はコロナで中止。

吉野大夫が寄進した吉野門
本堂

駆け足の参拝で、じっくりと見て回る時間がありませんでしたが、分厚く積もった紅葉が印象的でした。また、吉野大夫や花供養を知るきっかけとなりました。 旅はいいもんだなあ。