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松島 瑞巌寺 すごいですね伊達・仙台藩

この日の観光は日本三景のひとつ陸前松島。日本三景の松島、天橋立、宮島ともに行ったことがなかったのですが、なるほど日本三景と呼ばれるだけのことはあります。 海岸沿いを中心としたあたり一帯が厳粛な雰囲気に包まれており、所謂パワースポット。 

このツアーで松島観光にあてられた自由行動時間は昼食もいれて2時間で、とてもじっくりとは見てまわれずやや残念。 またツアーで来てくださいという作戦かな? こちらも松島へ向かう車中で家内と松島観光工程作戦会議。 

結局、オプションの”松島さかな市場”での昼食(この日は鉄火丼)と、笹かまぼこ体験は申し込まず、松島湾内周遊だけを申し込んで、あとは、瑞巌寺参詣、ウィンドウシッピング、昼食は食べ歩き!と決め、さっそく瑞巌寺へ。
県の重要文化財の総門の向こうに広い境内が広がっています。 

門を抜けると、”ガイド如何ですか? ガイドあるとないとでは観光の充実さ、理解の深さが違いますよ”と声をかけられました。 ”観光の充実”の言葉におおいに心を動かされ、時間がないなかですがガイドをお願いすることにしました。

参道の横には、洞窟遺跡群があります。 供養のための洞窟らしいです。 平安の頃という説と江戸の頃の説があるようです。 そういえば、鎌倉の金沢街道沿いのお寺にはこのような洞窟遺跡があったように思います。 それにしても、よくまあ直線的に天井を掘ったものです。

また、今は穴子が有名ですが、昔は鰻が沢山取れたそうで、鰻供養塔がありました。 ここまではっきりと鰻資源減少の事実を目の当たりにすると、ドキッとしてしまいます。

参道は、日差しで開放的なのですが、実は、東北地方太平洋沖地震被災前は参道の両脇を鬱蒼とした杉の巨木が覆っていたそうです。 

上の写真は総門側から撮った参道 下の写真は本堂側から撮った参道 
この写真の右手前下の白い棒が立っていますが、ここまで津波が到達し、参道の両脇にそびえていた杉の巨木は塩害にやられて次々と枯れ死したとのこと。 参道の横には巨木の切り株が並んでおり、往時を偲ばせます。  被災前の参道の写真を見せてもらいましたが、景色、雰囲気がまるで違い、喪失感たるや相当なものであったと思います。 その分、被災を免れた遺跡や古木を守る気持ちは強いでしょうね。
 
これから数百年かけて元に戻る、戻すことになるのだと思いますが、若い頃に松島を訪れなかったのは実に勿体ないことをしたようです。  
中門から伊達政宗が建立した本堂を望みます。 左には天皇を迎えるための御成門があり、恐れ多いと中門は御成門より3mほど引っ込んでたてられているそうです。 被災を免れた門前の杉の木は見事。 
本堂の横の庫裡。 煙出し(いわゆる煙突)の意匠が伊達なのだそうです。

本堂の中は、写真撮影禁止ですので、写真を撮れないのがとても残念ですが、本堂は一見の価値があります。 特に十間もの荘厳な障壁画には圧倒されます。 (瑞巌寺のHPで障壁画を紹介しています。 →ここ )   

現在の障壁画は本物を忠実に再現したプリカ(本物は宝物殿に保管)だそうですが、実に絢爛豪華。 このような部屋に通されたらあっけに取られるでしょうね。。。

武士の控室は松、典医はボタンなど、部屋毎に襖絵のテーマや天井の高さを変えていて、ひとつの宇宙をつくりあげているようです。 この襖絵に三方を囲まれて正座していたらきっと精神が浄化されるでしょうね。 安土桃山時代のほとばしるエネルギーと精神性の高さを感じます。 

なお、⑦の墨絵だけは本物だそうです。 墨絵はレプリカを作成するのが困難なのだそうです。
野太いエネルギーが襖からあふれ出ているような墨絵で、思わず息をのんで魅入ってしまいました。 描かれた和尚の鋭い眼光が今でも瞼に焼き付いています。
総門から松島湾を望む
ガイドさん頼んでよかったです。 呼び込みの ”観光の充実さ、理解の深さが違いますよ” は本当で、これからはガイドさん病みつきになってしまいそうです。 ガイド料は二人で30分2,000円でしたが、お金には変えられない価値があったように思います。 

今回案内してくれたガイドさんは、芸能人かTVアナウンサーかな?と思うほど、煌びやかな方で、まるで襖絵から出てきてガイドしてくれたみたいです。  すごいですね伊達・仙台藩。

瑞巌寺来てよかった。 あの襖絵をも一度見たい。
 
 

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奥飯坂穴原温泉 吉川屋 朝食編

 朝食はバイキング 福島の郷土料理テーブル
和食定番料理テーブル? 左はおでん
 伊達のつみれ汁と書いてあったと思います。 
 郡山のソウルフード ミルクボックス
 パンの上にミルククリームをのせたのがミソ? 家内の大のお気に入りとなりました。
 おやじセレクション 量を抑えました。
 家内セレクション 御飯にロールパンにミルクボックス 和洋折衷

お風呂で一緒だった宿泊客は数名でしたが、朝食会場には100人近くの宿泊客。 吉川屋は規模の大きな旅館だとやっと気づきました。 

 さて朝食もすんで、次の観光地へ出発
従業員の皆さんが総出で見送りしてくれました。 なんだか嬉しいものですね、、、

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奥飯坂穴原温泉 吉川屋 露天風呂

吉川屋のお風呂は夜・朝で入れ替え制になっていました。

下の写真は、11時半から午前零時までは女湯の”さるあみの湯”  
ニホンザルが体を癒しに来ていた言い伝えから名付けられた露天風呂。 細長いですが広々とした露天風呂でした。 
一方こちらは男湯。 運が良ければ崖の向こうに、かもしかが見えるかも!の”かもしかの湯” さるあみの湯に比べてかなり狭く、3、4人でいっぱい。
翌朝に”さるあみの湯”に入浴してその広さに唖然。 随分と女性客が多いのですね。。

 下は、女湯の大浴場の”藤太の湯” 

こちらは、男湯ですけど”弁天の湯”  藤太の湯にはなかったジャクジー風呂がありました。
加温している源泉掛け流しの温泉です。
 
内湯から露天風呂への扉を開けると一挙に冷気にさらされ、ヒートショックで倒れやしないかとハラハラしながら、露天風呂に入ってあったけー、、、露天風呂の温度調節が絶妙なのか、それとも泉質が柔らかいのか結構長いこと温泉に浸かっていられ、落ち着く温泉だったかな。

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奥飯坂穴原温泉 吉川屋 夕食編

 さて楽しみな夕食は、大広間に用意されていました。
 卓の上には、揚げ物と御飯、止椀、デザートを除く料理が並べられ、会席料理です。
 こりゃあ酒を飲まななきゃね、と日本酒利き酒セットをオーダー 9種類のお酒の中から日本酒度2、3、5と選んだのですが、、、
違いがよくわからず。 残念。
 別注オーダーの馬刺し 素晴らしく美味しかったです。
前菜
 冷菜 蟹もずく酢 蟹足の下にあるコンニャクみたいなのがもずくを固めたものです。


左からお造り、香の物(ぶな漬け、沢庵、青唐辛子麹漬け)、煮物(会津産蕗味噌まんじゅう) 

青唐辛子麹漬けは、ちょっぴり辛いですが、麹の甘さと相まって御飯のお供にぴったりです。 売店でお土産に買ってきました。

 麓山高原豚(はやまこうげんとん)リンゴ焼き
福島のブランド豚の 麓山高原豚を、おろしリンゴと出汁と醤油のお汁で煮ていただきます。 リンゴの酸味と甘味にブランド豚の甘さもあいまってか、とてもさっぱりとした舌触りの豚肉料理でした。 この料理で、家内や給仕さんと話が弾みました。
鮟鱇の唐揚げ 干し帆立の唐揚げみたいでした。 これもかなりのお味。 お酒にはぴったり。
この写真はお茶菓子です。

吉川屋の会席料理は、見た目の派手さ、、というより艶やかさはないのですが、それぞれ材本来の味を生かした粒よりな料理であったと思います。 主菜は、楽しく美味しい料理でした。 


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奥飯坂穴原温泉 吉川屋

初日のお宿は、奥飯坂穴原温泉 吉川屋です。 
創業は1841年の老舗 湯の伝説「藤太湯伝説」があります。
湯の由来の伝説「藤太湯伝説」は、大蛇の姫様が、子供を食い荒らす百足の魔物を倒す勇者を探し、男児・武門のメンツ、恥を知る俵藤太が、退治を引き受け、見事魔物を退治した。 大蛇の姫様がお礼を用意したが、無欲の俵藤太は受け取らない。 そこで、傷を癒すために、日本武尊が東征で病気になった時に入浴した湯の場所を教えましょう、と言ったが、藤太は日本武尊が入浴した湯で血を洗うのは恐れ多いと断る。ほとほと困った姫様は竜宮城の乙姫様に相談。乙姫は血で汚れた衣服を洗う泉を指定。藤太泉で汚れた衣服をすすいだところ、冷たい清水がだんだん暖かくなり、熱い温泉が湧いてきた。という伝説。(興味のある方は一読あれ→これ) 

日本男児かくあれ!という願いも含めた伝説なのかな?
お部屋はこんな感じ。 窓を開けると、一面川向かいの山の断崖絶壁です。
絶壁の下は摺上川が流れています。
川に面して旅館が建てられています。
明治初期の頃の吉川屋
昭和初期の頃の吉川屋 川の流れが今より緩やかのようです。
吉川屋は、伝説が生まれそうな立地。
旅館は三棟あります。お風呂はもちろん温泉!


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